辰巳會の設立
いまだに続く鈴木商店関係者の親睦會
舊鈴木商店OB會で、辰巳屋カネ辰鈴木商店に因み「辰巳會」が発足したのは、鈴木商店が破綻して34年後の昭和36(1961)年4月のことであった。
神戸オリエンタルホテルで第1回総會が開かれ、高畑誠一が初代會長に就任した。本部(神戸)のほかに東京、中部、四國、九州の4支部を設け、會員は、個人會員と舊鈴木商店系法人會員30數社で構成された。
辰巳會會報誌「たつみ」によれば、辰巳會が全國規模になる以前に、昭和35(1960)年には既に東京地區在住者150余名により東京辰巳會が先に発足し、続いて同年10月7日、西日本辰巳會が會員數340余名により発足。かくして昭和36(1961)年4月3日、東西辰巳會が一堂に會する名実共に「辰巳會」の発會式が行われたとある。
かつて鈴木商店の社員は、関係會社を含め25,000人にも及んだが、辰巳會発足時の500名ほどの個人會員は、年を重ねるに従い年々少なくなり、現在では生存するかつての鈴木商店社員はおらず、その子孫の人々により運営され大阪、東京でそれぞれ年3回総會が開かれ會報誌「たつみ」が発行されている?! ?br>
<辰巳會の主な出來事および活動記録>
昭和35(1960)年10月7日 西日本辰巳會発會式 神戸國際ホテル
昭和36(1961)年4月3日 統一辰巳會発會式 神戸オリエンタルホテル
昭和39(1964)年 金子直吉沒後20年祭 神戸オリエンタルホテル
昭和39(1964)年 鈴木よね刀自25回忌法要 神戸オリエンタルホテル
昭和39(1964)年 會誌「たつみ」創刊
昭和41(1966)年 京都嵯峨天竜寺にて全國大會
作家城山三郎を招く(“鼠”出版)
昭和42(1967)年 祥龍寺にて全國大會 物故者の供養塔建立を決定
昭和43(1968)年 祥龍寺に辰巳會供養塔を建立し、物故社員を合祀した
昭和44(1969)年 全國大會を祥龍寺?六甲山にて開催 西川文蔵50回忌法要
昭和45(1970)年 創立10周年を記念し、奈良?依水園にてよね刀自33回忌法要
昭和47(1972)年 金子直吉遺芳集発刊
昭和50(1975)年 西川文蔵支配人命日に頌徳碑建立 辰巳會創立15周年
昭和52(1977)年 京都國際會館にて全國大會 鈴木商店回顧50周年記念
昭和55(1980)年 祥龍寺にて全國大會 辰巳會創立20周年
昭和56(1981)年 大阪梅田コマ劇場にて「海鳴りやまず」公演
平成元(19899年 神戸?須磨寺にて全國大會 辰巳會創立30周年
平成5(1993)年 金子直吉沒後50年祭(神戸?長田神社)
平成12(2000)年 祥龍寺にて全國大會 辰巳會創立40周年
平成19(2007)年 よね刀自70年祭 神戸?生田神社會館
平成22(2010)年 辰巳會創立50周年
平成25(2013)年 金子直吉沒70周年記念式典
平成26(2014)年 ???????????????「鈴木商店記念館」開設
平成27(2015)年 東京?日比谷図書文化館にて「鈴木商店シンポジウム」開催
平成28(2016)年 辰巳會第2代會長?鈴木治雄氏死去
平成29(2017)年 神戸市みなと総局主催「神戸港と神戸文化の企畫展」に「鈴木商店展示」ならびに講演會協賛(於:デザイン?クリエイティブセンター神戸(KIITO))
平成30(2018)年 神戸市みなと総局主催特別企畫「神戸発祥の総合商社の源流?鈴木商店を知る」講演會?勉強會に協賛(於:神戸ポートオアシス)
鈴木商店が、歴史の舞臺から去って90年が過ぎ去った。鈴木商店に勤務した者は既に他界しているが、いまだ綿々と故人の縁故者や関係者によってOB會が開かれている。人々を繋ぎとめてきたものは何だったのだろうか? 一人ひとりが鈴木商店という大家族の一員という意識が強い絆を生み、全員が親類縁者のような結束をもたらしてきたものであろう。
- 「會誌"たつみ"で辿る辰巳會の50年」②(たつみ第74號)
- 「會誌"たつみ"で辿る辰巳會の50年」①(たつみ第74號)
- 「辰巳會だより」(たつみ第73號)
- 「辰巳會會員便り」(たつみ第72號)
- 「辰巳會だより」(たつみ第72號)
- 「辰巳會會員便り」(たつみ第71號)
- 「辰巳會だより」(たつみ第71號)
- 「鈴木商店のこと」宮田義清(たつみ第71號)
- 「今に生きる幻の巨大商社」神戸新聞?。à郡膜叩?1號)
- 「辰巳會全國大會」平成19年5月24日 於生田神社會館(たつみ第71號)
- 「辰巳會會員便り」(たつみ第67號)
- 「辰巳會だより」(たつみ第67號)
- 「辰巳會會員便り」(たつみ第66號)
- 「辰巳會だより」(たつみ第66號)
- 「その時歴史が動いた 巨大商社鈴木商店の栄光と挫折」藤波重成(たつみ第66號)
- 「辰巳會會員便り」(たつみ第65號)
- 「辰巳會だより」(たつみ第65號)
- 「その時、歴史が動いた 後記」松下重男(たつみ第65號)
- 「大會講演記録」王鞍延子(たつみ第65號)
- 「辰巳會に思う」楠瀬正明(たつみ第64號)
- 「大會講演記録」辻本嘉明(たつみ第63號)
- 「辰巳會會員便り」(たつみ第62號)
- 「辰巳會だより」(たつみ第62號)
- 「弔辭(故植田三男氏への會長弔辭)」鈴木治雄(たつみ第61號)
- 「辰巳會會員便り」(たつみ第61號)
- 「阪神大震災と辰巳會」橫田周作(たつみ第59號)
- 「辰巳會會員便り」(たつみ第58號)
- 「辰巳會だより」(たつみ第58號)
- 「(平成5年度)全國大會報告」(たつみ第58號)
- 「辰巳會會員便り」(たつみ第57號)
- 「辰巳會だより」(たつみ第57號)
- 「辰巳會會員便り」(たつみ第56號)
- 「辰巳會だより」(たつみ第56號)
- 「桂芳男 元神戸大學教授の急逝を悼む」藤田健作(たつみ第56號)
- 「辰巳會會員便り」(たつみ第55號)
- 「大幡久一氏弔辭」(たつみ第44號)
- 「辰巳會創立25周年全國大會」(たつみ第43號)
- 「辰巳會會員の便り」(たつみ第43號)
- 「辰巳會會員の便り」(たつみ第42號)
- 「ラウンジ」(毎日新聞;昭和59年9月22日)(たつみ第42號)
- 「辰巳會會員の便り」(たつみ第41號)
- 「辰巳會だより」(たつみ第40號)
- 「花登筺さんに憶う」(たつみ第40號)
- 「賀陽宮殿下を迎えて?故西川玉之助翁の遺業を讃える」(たつみ第39號)
- 「"海鳴りやまず"の周辺」(たつみ第36號)
- 「辰巳會全國大會雑記」(たつみ第35號)
- 「観劇例會の記」(たつみ第35號)
- 「マスコミに載った"海鳴りやまず"」(たつみ第35號)
- 「"海鳴りやまず"の周辺」(たつみ第35號)
- 「海鳴りやまず 上演」(たつみ第34號)
- 「"海鳴りやまず"の劇化に當たって」伊藤邦輔(たつみ第33號)
- 「辰巳會20周年記念全國大會」(たつみ第33號)
- 「辰巳會創立20周年回顧」大幡久一(たつみ第32號)
- 「企業戦略のルーツをさぐる(下)」作道洋太郎(たつみ第30號)
- 「栄光をしのぶ 心に生きる鈴木商店」(たつみ第30號)
- 「たつみ春秋抄~囲碁太平記」黃旗亭(たつみ第20號)
- 「辰巳會全國大會」(たつみ第29號)
- 「李方子女史を迎えて」(たつみ第29號)
- 「よみがえる伝統商法 『企業戦略のルーツをさぐる(上)』」作道洋太郎(たつみ第29號)
- 「東京支部SZK回顧50周年記念例會」(たつみ第28號)
- 「海鳴りやまず余話(座談會)」 / 「神戸新聞『海鳴りやまず』に就いて」(たつみ第28號)
- 「神戸市の産業歴史展だより」(たつみ第27號)
- 「神戸新聞『海鳴りやまず』の出版」(たつみ第27號)
- 「回顧50周年を飾る辰巳會全國大會」(たつみ第27號)
- 「鈴木商店回顧50周年特別投稿【2】」(たつみ第27號)
- 「鈴木商店回顧50周年特別投稿【1】」(たつみ第27號)
- 「あゝ黃旗くん??!」西川政一 / 「弔辭 木畑龍治郎君」柳田義一(たつみ第26號)
- 「辰巳會全國大會」昭和51年5月14日(たつみ第25號)
- 「辰巳會全國大會」昭和50年5月15日(たつみ第23號)
- 「頌徳碑の碑文について」大幡久一 / 「頌徳碑建設始末記」木畑龍治郎(たつみ第23號)
- 「辰巳會10月例會」(たつみ第22號)
- 「金子翁三十年祭祝詞」?。à郡膜叩?1號)
- 第12回全國大會?。ㄕ押?6年5月12日)(たつみ第15號)
- 「午鈴會オン?パレード」木畑龍治郎(たつみ第15號)
- 「辰巳會10周年記念全國大會」(たつみ第13號)
- 「韓國政府から故西川玉之助氏へ感謝狀」(たつみ第8號)
- 柳田義一氏句集 (たつみ第8號)
- 辰巳會全國大會(昭和42年4月5日 於神戸祥龍寺)(たつみ第7號)
- 辰巳會敘勲?褒章祝賀(昭和46年)(たつみ第6號)
- 辰巳會賛助法人 昭和44年12月15日現在(たつみ第12號)
- 辰巳會だより「辰巳會京都全國大會」(たつみ第5號)
- 「辰巳會敘勲?褒章祝賀」(たつみ第4號)
- 「辰巳會北海道支部結成」?。à郡膜叩?0號)
- 「辰巳會物故會員供養塔」?。à郡膜叩?號)
- 「辰巳會法人會員制」(たつみ第2號)