クロード式窒素工業の歴史⑦
彥島工場で生まれたアンモニア合成技術がわが國の近代化學工業の発展に大きく寄與
三井鉱山は彥島工場の1年間の委任経営を経て、クロード法のアンモニア合成技術は採用するに足りると判斷。昭和4(1929)年4月、彥島工場は彥島製錬所窒素工場として新生のスタートを切り、第一窒素工業は同年5月をもって解散した。一方、クロード式窒素工業は昭和10(1935)年まで存続する。
再出発した彥島工場は國內市況の好況に応えて昭和11(1936)年に新工場の建設に著手し、翌昭和12(1937)年初から運転を開始した。過燐酸石灰メーカーの新潟硫酸は、スクラップとなった彥島工場の舊プラントを購入?利用し、クロード法による硫安年産1萬?の工場を新潟に建設。昭和12年4月から生産を開始した。プラントの移設、技術指導には鈴木商店時代からのベテラン、岡田義基があたった。同社は後に東洋合成と社名を変更したが戦後の経営不振から解散を余儀なくされた。その後同工場の裝置は、日本瓦斯化學工業(後?三菱ガス化學)へ引き継がれる。このように彥島で生まれ育ったクロード法の技術は多くの企業に引き継がれていった。
クロード法を引継いだ三井鉱山は、彥島工場の操業を続けるかたわら、さらなるアンモニア合成による化學肥料事業の拡大をはかるべく三井の本拠地?福岡県大牟田での三池炭を利用したアンモニア?硫安の生産を決定。昭和4(1929)年4月には臨時窒素建設部を設けた。さらに昭和6(1931)年8月、三池窒素工業を設立。昭和8(1933)年4月には東洋高圧工業所を分離して三池炭を利用する本格的な硫安製造會社?東洋高圧工業を設立し、名実ともに三井の肥料部門が誕生した?!?/p>
一方、東京工業試験所で柴田勝太郎(メタノールの権威、後?東洋高圧工業社長)らによって開始されたメタノールの合成研究は、大正15(1926)年に開催された第2回化學工業博覧會に合成試験裝置を出品するまでに進展。業界の注目を集めるところとなり昭和2(1927)年、三井、三菱、日石他によりメタノール試製組合が組織された。
昭和7(1932)年、試製組合員はメタノールの市況回復により合成工業を設立。工場を彥島工場內に建設し、柴田らの研究陣を迎え入れてメタノール事業を開始した。昭和10(1935)年3月、合成工業はメタノールとアンモニアの一貫生産をはかるため、クロード式窒素工業を吸収合併する。
昭和30(1955)年頃から始まったアンモニア?メタノールに関する技術革新と裝置の大型化の波の中で、東洋高圧工業は天然ガスを原料とする最新鋭工場を次々に建設。それに伴い、石炭を原料とする彥島工場は昭和35(1960)年、ついに栄光ある歴史に幕を下ろした。
クロード法によるアンモニア合成技術を調査するため、三井の先陣を切って彥島工場に乗り込んだ三井鉱山の石毛郁治(後?東洋高圧工業社長、三井化學工業社長)は、三池窒素工業設立から東洋高圧工業設立へと三井の窒素肥料部門の創設、高圧化學技術開発の先鞭をつけた立役者である。彥島での滯在は通算してわずか13カ月に満たなかったが、石毛にとって三井グループにおける高圧化學技術の端緒を開いた彥島は終生忘れることができない土地となった。
昭和41(1969)年11月、古希を迎えた石毛は彥島を訪れ、「我國安母尼亜(アンモニア)合成工業発祥之地」と記された石碑を建立して大正末期にフランスから輸入した合成管架臺とアンモニア分離機を祀り、由緒あるこの地を永久に保存することとした。
昭和12(1937)年には三池窒素工業が、昭和13(1938)年にはクロード式窒素工業を買収した合成工業が東洋高圧工業に吸収合併され、昭和43(1968)年10月、東洋高圧工業は三井化學工業と合併して三井東圧化學となり、平成9(1997)年に三井東圧化學が三井石油化學工業との合併により三井化學となった後、平成12(2000)年にリン化合物専門工場として三井化學100%子會社の下関三井化學が設立された。
この下関三井化學の本社および工場所在地こそが、正にクロード式窒素工業彥島工場のかつての所在地である。同工場內には鈴木商店時代に建てられたレンガ造りの建物(発電所)、既述の「我國安母尼亜合成工業発祥之地」の石碑が殘されている。なお、鈴木よねには鈴木商店がクロード式窒素工業を軌道に乗せた功績が評価され、フランス政府より同國最高のレジオン?ド?ヌール勲章が贈られている。
クロード式窒素工業彥島工場の歴史はさながら高圧化學技術発展の歴史でもあった。大正末期、鈴木商店が起死回生の事業としてフランスから導入したクロード式法によるアンモニア合成技術は、彥島工場において高圧化學技術、化學プラント製作技術として確立され、東洋高圧工業他の母體技術となるとともに、そこで育った多くの技術者がわが國の近代化學工業?重化學工業の発展に大きく貢獻するとともに近代的裝置の國産化にも大いに寄與した。
20世紀後半に急成長した石油化學工業は、長年培われたクロード法によるアンモニア合成技術がベースにあったからこそ急速に発展することができたと言ってもいいだろう。